日記

阪神淡路大震災の経験から四半世紀

25年前の1月17日の早朝。大学を卒業したものの、今で言うフリーター(少しまではプー太郎か)、本人は起業するために、就職をしなかったと考えていたのだが。
それも、中々うまくいかず、早朝の牛乳配達のアルバイトをしていた。
今の奥さんと付き合っていたこともあり、就職しなければと2月から仕事も決まり、引き継ぎを行っているところだ。
西向きに5時半頃、産業道路を走っていると、急に軽トラが揺れだした。パンクか、軽く追突されたのか。バックミラー、目視で後ろを確認しても、後ろに車の姿は見えない。パンクにしてはどこかが沈んできている訳でもない。
今度は、しっかりと前を見てみると、電線がゆーらゆら、ゆーらゆらと、大きく揺れている。軽トラの揺れも続いている。そこでようやく地震だと分かった。

車に乗っていて地震を感じるというのは、尋常ではない大きさの地震が発生していると分かった。以前NHKの報道で、津波に襲われた人たちが、バスで移動しており、地震が発生したことを知らなかったという番組から、そのことを想像した。

しばらくしないうちに、西の空にこれまたNHKのドキュメンタリーで見た戦争の夜の空襲攻撃のような光を幾つも見た。もし、それがミサイル攻撃であれば、ここにいる私たちの命はもう無い、そう思った。

しばらく混乱していたが、揺れが収まり、空の光線が消えていき、最終的にこれは尋常ではない地震であると結論づけることが出来た。

残りの配送を続けると、瓦が落ちているところや、昔からあるL字型の大きなマンションは90度に曲がっている部分が接続された構造になっていたのだが、そこが上の階に行くほど引き裂かれ、水が漏れてきていた。

1月いっぱい牛乳配達のアルバイトを続け、私が住んでいた地域は甚大な被害こそ無かったものの、屋根にブルーシートをかぶせている家が、線上に連なっていることが高い建物の上から確認できた。

就職するまでに被災地に訪問しようと、当時参加していた環境保護団体で知り合った方と電車を乗り継ぎ三宮まで向かった。そこには、かつての三宮の様子は亡く、テレビで報道される映像そのものであった。

当然なのだろうが、入手できない水を水道管が破裂し道路からすくい上げている姿が今も思い出される。

日本はあれから何度も大きな震災に襲われている。最近の報道だと、大震災の発生確率が高まってきているという情報もある。
埼玉に住み、東京に通うという日々を過ごしていると、何故、この地域にこんなにも多くの人が住んでいるのだろうか?と、思ってします。ここで、震災が発生したら、致命的なこと泥ではない。地下鉄で震災が発生したらと思うと、あり得ないとしか思えない。

震災は、何時何処で発生するかもしれない。そんなときのためにも、個々備えるのは勿論であるが、多くの人が犠牲にならないようにバランスを取りながら済む事が出来る環境を作るのも備えだと思う。

木を見て森を見ずでは無く、大きな視点を持ちながら、備えが出来る様になっていきたい。そのための、多くの技術があるのではないだろうか。インターネットが全てではないが、人が集うことと、情報交換、共有で済む事を棲み分けることで、備えることが出来ると思う。
2020に向けて自宅勤務を取り入れる企業も増えてくる、それにあわせて東京に済む事が絶対条件と思わない人が増えると良いと思います。

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